強いリーダーに必要な
プロデュース力をどう培うか
上 昌広
東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム
社会連携研究部門特任教授
被災地で診療する意味
東日本大震災から3年6カ月が経過した。私たちの研究室は福島県の医療支援を続けている。
被災地の復興は徐々にだが、着実に進んでいる。相双地区の中核病院の医師数は震災前より増加した。たとえば、南相馬市立総合病院(以下、市立病院)の常勤医は震災前の12人から25人(9月28日現在)まで増えた。
東大医学部を卒業した若き医師たちも福島で研鑽を積んでいる。事故直後から地域住民の被曝対策に従事した坪倉正治君(平成18年卒血液内科)だけでなく、昨年4月からは、藤岡将君が市立病院で初期研修を始めた。また、今年の4月からは嶋田裕記君(平成24年卒、脳外科)、森田知宏君(平成24年卒、内科)も後期研修医として、それぞれ市立病院、相馬中央病院で診療している。さらに、10月からは尾崎章彦君(平成22年卒、消化器外科)も市立病院に異動する。皆、学生時代に私たちの研究室で学んだ若者だ。
彼らが福島を目指すのは、そこで働くことにより、実力がつき、実績が上がるからだ。たとえば、嶋田君は「東京の病院で働くより、多くの手術を経験することができる」と言う。市立病院は地域の脳外科診療の拠点であり、及川友好副院長は著明な脳外科医だ。その指導のもと、多くの経験を積める。
被災地で診療することで、技量が上がり、実績を積めることは、若き医師にとって重要だ。ただ、被災地で働くことの意義は、それだけではない。
私が、被災地での勤務を勧める最大の理由は、生まれ育ったのとは別の土地で働くことで、本人たちが成長するからだ。異文化と接触することで、自分自身が何者かを考えるきっかけとなる。
たとえば、嶋田君は東京生まれの東京育ちだ。筑波大附属駒場高校から東大に進んだ。初期研修は千葉県の名戸ヶ谷病院で修えた。このまま母校の大学院に進み、東京の病院に就職すれば、一生涯、東京で過ごすことになる。
東京は日本の中心である。全国、いや世界中から人々が集まってくる、刺激に満ちた場所だ。地方出身者には「1度は東京で働くように」と勧めている。
ただ、関東出身者が、一生、東京で暮らすことには賛成できない。ずっと東京にいると、視野狭窄に陥ってしまう。
その風土は、大陸と近く、東アジアの影響を強く受ける九州とも異なるし、商人が町をつくり上げた関西とも異なる。若者は異文化と触れあうことで苦労し、成長する。そして、最終的には自分自身とは何者かと考えることになる。
留意すべき育ちと環境
私は、若者を指導する際、「他人を理解するには、その人の育ちを尋ねよ。相手だけでなく、父母・祖父母が育った環境にも注意せよ」と指導している。それは、人は無意識のうちに周囲の影響を受けるからだ。
たとえば、私は「上」という珍しい姓を持つ。「上」という姓は全国に約4800人いると言われている。主に四国や和歌山、さらに鹿児島県に多い。一部、神戸にもいる。神戸港を拠点とする港湾物流大手の上組など、その代表だ。
上家というのは、おそらく瀬戸内海から西日本にかけて広まった一族なのだろう。そして、高度成長期、多くが神戸や大阪に出てきた。事実、私の父は淡路島出身で、神戸大学経済学部を卒業し、日本毛織株式会社(現ニッケ)に就職した。そして、私は神戸で生まれ、加古川のニッケ社宅、さらに尼崎で育った。
一方、私の母方の一族は西野という。高知に多い姓らしい。母の父、つまり私にとって祖父は淡路島出身で、岡山の旧姓第六高等学校、九州帝国大学を卒業した医者であった。軍医として満州に赴任し、帰国後は淡路島の開業医として余生を終えた。典型的な瀬戸内の人間だ。
母方の母、つまり私の祖母の姓は高田という。神戸の「金盃」という造り酒屋の一族だ。高田家の祖も淡路島である。この一族からは、かつて高田屋嘉兵衛が生まれている。司馬遼太郎が『菜の花の沖』で取り上げた人物だ。
このように考えると、私の祖先は瀬戸内海を舞台に交易を続けた人たちであったことがわかる。半農半漁、さらに小規模な交易で生計を立てていたのだろう。私の知る限り、一族で関ヶ原を越えたのは私だけだ。
さらに、私が学んだのは神戸市の灘中学・高校だ。両者をまとめて灘校という。灘校の創始者は菊正宗・白鶴を経営する嘉納家、櫻正宗を経営する山邑家である。
灘校は商人のつくった学校だ。商人は合理的である。わかりやすく言えば「儲かればいい」。私は灘校で学び、この精神が教育にも貫かれていると感じた。灘校の教育方針は「勉強さえできれば、後は自由」だ。私が在籍した80年代、受験競争が社会の批判を浴びていたが、当時の勝山正射校長は「あくまで知育を重視する」と明言して引かなかった。世論に迎合しない人だった。
東大入学後、日本各地から上京してきた人と交流し、自分の特異性を自覚した。たとえば、東京は江戸時代から政治の中心。官との付き合い方が上手い。九州は文武両道でバランスが良い。これは九州の進学校の多くが、西国雄藩の藩校の伝統を引くことと無関係ではないだろう。
このような各地の伝統は、現代も受け継がれている。私を含め、灘校出身者は国家権力との付き合い方が下手だ。毎年100名を超える生徒が東大に合格するのに、官僚や政治家として活躍する人は少ない。この状況は医療界も変わらない。これまでに東大医学部を卒業した灘校生は約650人だ。もちろんダントツの1位だ。しかしながら、このうち内科や外科のようなメジャー診療科の教授に就任したのは、わずかに2名である。
人材は現場から生まれる
長所であれ、短所であれ、自らの特徴を自覚することは武器になる。平素から相手の価値観を考えるようになり、自分との相性を意識するようになるからだ。
これは地域医療の現場でも変わらない。たとえば、相馬市の復興をリードする立谷秀清市長(医師)は、原釜漁港で醸造業を営む家庭で育った。三陸沖は世界屈指の好漁場だ。この地域の経済は漁業を中心とした交易の上に成り立っている。その環境は、私が育った瀬戸内と似ている。このような環境で育った者は、他者と交流することで、双方が利益を得ることを肌感覚として知っている。
震災以降、立谷市長とはさまざまな仕事をともにした。その際、彼が福島県を飛び越えて、さまざまな専門家や政府の幹部と交渉する姿に私は親近感を覚えた。典型的な「海の文化」だ。
わが国では、昨今、強いリーダーを求める声が強い。ただ、座学を幾らやってもリーダーは生まれない。
リーダーに求められるのは、プロデュース力だ。若き医師たちは、さまざまな地方で試行錯誤を繰り返すことで、このような能力を身につける。そして、わが国の医療の屋台骨を背負う人材へと育っていく。人材は現場から生まれる。
(2014年10月30日発行 ライフライン21がんの先進医療vol.15より)
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(出所:厚生労働省ホームページより「がん医療」関連に限定して転載)