第4のがん治療法
「がん治療ワクチン」の現状


上 昌広
東京大学医科学研究所 先端医療社会コミュニケーションシステム
社会連携研究部門特任教授

〝夢の治療薬〟がん治療ワクチン―その原理と誕生までの経緯

 がん治療ワクチン(以下、がんワクチン)に注目が集まっている。昨年11月、NHKスペシャル『がんワクチン~〝夢の治療薬〟への格闘~』が放映された。12月には、がんワクチン研究の第一人者である中村祐輔・シカゴ大学教授による『がんワクチン治療革命』(講談社)が出版された。筆者も、「がんワクチンは、どうやったら受けることができるのでしょうか」と、患者や家族から問い合わせを受けることが多い。
 がんワクチンとは、がん細胞の一部を使って患者の免疫を活性化し、その進行を抑える療法だ。第四のがん治療として注目されている。
 がん細胞にだけ発現している抗原を同定し、免疫を誘導するため、正常な組織には影響しない。つまり、副作用が軽い。高齢で体力が低下した患者でも受けることができる。従来の手術・抗がん剤・放射線治療が強い副作用を伴うのとは対照的だ。
 がんワクチンの原理は素晴らしいが、その開発は試行錯誤の連続だった。多くの研究者、ベンチャー企業が挑戦し、敗れ去っていった。筆者が国立がんセンター(現国立がん研究センター)に在籍した2001〜5年当時、「免疫療法など効くはずがない」と公言するがん専門医も珍しくなかった。
 状況が変わったのは、2009年4月、米国のバイオベンチャーであるデンドレオン社が前立腺がんに対するがんワクチン(プロベンジ)の臨床試験の結果を発表してからだ。同社が米国食品医薬品局(FDA)に提出した資料によれば、512人の転移性前立腺がん患者を対象に、プロベンジ群の生存期間中央値は25・8カ月、プラセボ群は21・7カ月と、プロベンジの投与で生存期間は4・1カ月延長した。
 進行がんの生存期間を4・1カ月延長したことは、がんの専門家にとっては驚異だった。また、当初の予想通り、重篤な副作用は報告されなかった。この研究成果は、医学誌の最高峰『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディスン』のトップに掲載され、2010年4月には米国FDAが承認した。

がん治療ワクチンによる費用と現段階での臨床試験の実状

 ただ、発売当初、プロベンジがどれだけ普及するか、多くの医師は懐疑的だった。それは、プロベンジの費用が9万3000ドルと高額だったからだ。わずか4カ月の延命のために、これほどの大金をかけることが許されるのか、医師の多くは疑問を抱いた。
 しかしながら、医師の懸念とは無関係に事態は動いた。患者からの熱烈な要請を受け、米国政府も動かざるを得なくなった。2011年6月には、メディケア、メディケイド(米国政府の低所得者、高齢者向けの医療保険)が保険収載を決定した。
 このニュースは製薬業界に追い風となった。医学的な有効性を示すことができれば、米国政府が保険償還するのだから、製薬企業は米国での臨床開発を加速させた。
 Nature Medicine誌は、この状況を「Cancer vaccine approval could open floodgates」と評した。この記事の中で、第2、3相の治験まで進んでいる10のがんワクチンを紹介した。特に6つの第3相臨床試験は注目を集めた。
 このうち、メルクセローノ社が進めていた、MUC1という抗原を標的とした肺がんに対するワクチン(STIMUVAX)の治験結果は、昨年12月に公開された。ワクチンによる生存期間の延長は確認されなかった。治験は失敗だった。
 残りの5つのワクチンの治験結果は未公表だ。いずれも、2016年までには結果が公開される。ポジティブな結果が出れば、速やかに承認されるだろう。がんワクチンの臨床開発は、佳境を迎えつつある。
 日本のがん患者のためにも、日本の製薬企業には大いに頑張ってほしいものだ。ところが、ご多分に漏れず、国内企業は苦戦を強いられている。グラクソ・スミスクラインやメルクセローノなど、欧米のメガファーマの後塵を拝している。
 ところが、一社だけ日の丸企業で頑張っているところがある。オンコセラピーサイエンス社(オンコ社)(川崎市)だ。膵臓がんワクチンの第3相治験を進めており、2014年には結果が公開される。ポジティブな結果が出れば、日本初のがんワクチンが誕生することになる。

治験・効果・評価―あくまでまだ研究段階

 オンコ社は、2001年4月、冒頭にご紹介した東大医科研(当時)の中村祐輔教授(現シカゴ大学)の知財をベースに立ち上がった大学発ベンチャーだ。同社は、小泉政権下で推進された産学協同の成功例で、2003年12月に上場した際には、当時、東大史上最高の特許収入をもたらした。
 がんワクチン治療については、まだまだ研究すべき点が多い。たとえば、メルクセローノ社の治験が失敗した理由について、がん免疫学の専門家は「MUC1という一つの抗原しか使っていなかったのが原因です。複数の抗原を用い、同時にがん免疫を誘導するのが合理的です」と言う。現在、オンコ社(日本)とイマティクス社(ドイツ)が、この戦略の元に治験を進めている。
 また、対象患者の選択も難しい。実は、プロベンジはFDAの指示により治験をやり直している。最初の治験ではグリソンスコア(がん細胞の病理学的指標)は何点でも登録が可能であった。ところが、治験結果を解析したところ、グリソンスコアが7点以下の場合に著効していることが判明した。このため、再治験ではグリソンスコア7点以下の患者に限定した。この患者は概ね「悪性度は低い、早期前立腺がん」に相当する。この方針はデンドレオン社だけでなく、規制当局であるFDAも強く推奨したという。医学的には合理的な判断であるが、一方、グリソンスコアで線引きされ、新薬を期待する患者さんには冷徹な対応に映ったという。
 がんワクチンが抱える問題は臨床試験のデザインだけではない。製剤自体に関しても改善の余地がある。たとえば、ペプチドを体内に投与すると、通常の場合、酵素によってすぐに分解されてしまう。投与されたがんペプチドワクチンが分解されずに、効率よく免疫反応を誘導するためには、剤型を変えるなど、製剤化技術の改善が欠かせない。
 がんワクチンは、あくまで研究段階にある実験的な治療だ。研究が進み、評価が確立するには時間がかかる。一部の医師は、「有効性を示すエビデンスがないから、現時点では推奨しない」と切り捨てる。確かに、一つの考え方だ。
 ただ、私は、このような教条的な医師を信頼しない。なぜなら、そんな意見は、治癒や延命を求める患者にとって、何の役にも立たないからだ。患者は、少しでも可能性のある治療を探している。「どこに行けば、どの程度の安全性と有効性が見込める治療を、どの程度の経済負担で受けることができるか」という具体的な情報を切望している。医療界や厚労省が、このような患者の期待に十分に応えているとは言い難い。
 患者の皆さんには、是非、さまざまな情報を入手し、自分なりに考えて欲しい。その際、自分が納得するまで、いろんな医師の意見を聞いて欲しい。残念ながら、誰もがんワクチンについて、「正解」を知らない。医師によって考えが大きく違う。がんワクチンを考慮する患者さんは、是非、この現状を理解して欲しい。

(2013年4月20日発行 ライフライン21がんの先進医療vol.9より)

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